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くっぴーのお部屋

くっぴーのお部屋

転院・体外&顕微受精1回目

平成12年1月8日

 予約をして、大阪の不妊専門クリニックに夫と2人で受診しました。片道1時間30分ほどかけて電車を乗り継いでいかなければなりません。JR大阪駅で降りたものの、病院の場所が良くわからず、迷いに迷って何とか到着。年始の為、すごい人でした。診察室に入り、後から呼ばれた夫とともに、体外受精の説明を聞き、血液・心電図などの検査をして帰りました。


平成12年1月下旬

 生理がきました。この時ほど、生理が来て落ち込まない日は今までに無かったです。今回の生理が来ないと、IVFの準備が出来ないから。悲しみよりも、喜びで一杯という感じでした。生理が来た日にIVFの予約の電話をしました。

 そして、医師の指示どおり・・

生理開始
1日目~  
 スプレキュア(点鼻薬)を1日3回点鼻する。
 
3~5日目 
 HMG(ヒュメゴン150単位)筋肉注射。(土曜・日曜日だったので、自分で注射した!!怖かった。平日は勤務先で注射してもらう。)

6日目   
 受診。卵胞があまり大きくなっていない為、筋注(筋肉注射)

7・8日目 
 毎日、交互の腕に注射してもらっていましたが、限界にきたので、「お尻は痛くないよ」という言葉を信じて、お尻に注射してもらった。でも、痛かった。

9日目   
 受診。筋注。

10日目   
 受診。筋注。

11日目   
 筋注。(ここまでで、8回HMGの筋肉注射をする)

12日目   
 受診。経膣エコ-の結果、採卵が2日後に決定。HCG(プロファシー5000単位・プルセニド(下剤)をもらって帰る。夜、指定された時間にHCG筋注。

13日目   
 下剤を飲んで、寝る。21:00以降、絶飲食。

14日目(2月2日) 採卵。
 仕事の都合で、夫はどうしても休めなかったので、採精した精子を持って病院へ行きました。点滴をしてもらい、痛み止めの座薬を入れて、手術室へ。心電図モニターをつけてもらい、自動血圧計を巻かれ、手術台の上に寝ている私は、まな板の上の鯉状態でした。消毒後、局所麻酔をしながら採卵。13個採卵できましたが、すごく痛かったです。ほとんど痛みの無い人もいらっしゃるそうなんですが、かなり痛かったです。終わった時には、ぐったり・・でした。2時間安静の後帰宅。抗生剤と胃薬をもらって帰りました。

13個採卵中、5個顕微授精・8個体外受精

採卵2日後(2月4日) 胚移植。
 13個中、12個受精したそうです。分割のよかった受精卵3個を移植。残りの受精卵の内分割が良いものを6個凍結保存してもらいました。移植は、AIH位の痛さで、細い管を膣から入れられ、卵管の中へキューっと入っていくのがわかるような感じ。プロゲストンを筋注して帰宅。

移植後1日目~
 プロバノ-ル(卵胞ホルモン・黄体ホルモン混合薬)を服用。着床を促す為、子宮内膜を厚くする膣錠を1日2回入れる。

1・2日目 
 プロゲストン注射50mg1A筋注。

3・8日目 
 プロゲストンデポーS125mg2Aずつ注射、筋注。(プロゲストン注射は濃度が濃く、注射器で吸った後時間が少しでも経つと硬くなってしまい、とても打ちにくい。それに、とても痛い)

判定日   
 受診。尿検査。尿中HCG陰性。「遅く反応する人も中にはいるから、血液検査で確認しておきます」と言われ、血中HCGも検査。「妊娠反応が出たら、電話しますから」と言われ、ひたすら待つ。連絡はありませんでした。

約1週間後 
 生理がきました。大泣き。


第1回目の移植の翌日、仕事に行くと・・1~2歳位の大きさの人形が1体置いてありました。実習で使う人形??と思っていたら・・。私のために借りてくださったお守りだとのこと。20年ほど前に「この人形をかわいがると、赤ちゃんを授かる」ということで流行っていたものだそう。いろんな人のところを回り、私の所にも来てくれた。いつもにっこりとしていて、かわいい。ちょうど良い時期に来てくれたので、みんなが、「今度は上手くいきそう。」と言って励ましてくれてたんだけどネ。あやかり人形ということで、「あやちゃん」と呼ぶことにしました。


2月は、友人が妊娠した!という話や、久し振りに偶然であった高校の同級生が妊婦さんだった!という話をよく聞きました。

1番悲しかったのは、最近まで避妊をしていた友人の妊娠の話。そろそろ欲しいから避妊を止めた・・と言っていた矢先の妊娠報告。すぐには「良かったね。おめでとう!」とは思えなかったです。メールでそのことを知った直後、私は夫の前で泣き出してしまいました。「何で、私たちのトコにはなかなか赤ちゃんが来てくれないの?」「おめでとう」を言えるようになるまで、しばらく時間がかかりました。でも、他の友人達に言うように、私にも同じ時期に妊娠したことを言ってくれた友人も勇気が要っただろうな・・と思うのです。ごめんネ、すぐに喜べなかったこと。


平成12年3月
 夫の88歳の祖父が1月頃から体調を崩し、3月1日に肺がんで亡くなりました。
お墓参りなどで忙しかったので、しばらく治療は中断することにしました。この期間はすごく気が楽でした。治療をしていないから、妊娠しなくても平気だったから・・・。生理が来ても落ち込むことも無いから。でも、無排卵の私は、薬に頼らないと生理も来なかったのでした。下旬になっても生理が来なかったので、勤務先の病院を受診し、生理を起こすための薬を処方してもらいました。(プラノバール 9日分)


平成12年4月下旬
 大阪の病院を受診。「卵胞があまり成長していないので、今回は生理を起こさせて、子宮の状態を整えてから胚移植しましょう」と言われました。

4月25日から10日間 
 プラノバール服用

5月4日~生理3日目まで
 スプレキュア

5月9日~13日
 生理が来る

5月9日~
 エストラダ-ム貼用
 生理開始1・3・5・7日目 1枚ずつ貼りかえる。
           9日目 2枚を貼りかえる。
           11日目 3枚を貼りかえる。
           13日目 4枚を貼りかえる。

5月23日
 受診。プロゲストン注射、筋注。エストラダ-ム2枚を貼りかえる。

5月24日
 職場で同僚の看護婦さんにプロゲストン注射、筋注してもらう。痛くない。

5月25日
 AM10:00すぎ、病院から℡があり、「凍結胚が使えます」とのこと。急いで、準備をし病院へ行く。

融解した卵6個。移植した卵4個(グレード2・3・4の卵を1個ずつ)。

今回は妊娠するとは思わないように・・と言われた。凍結胚だと妊娠の確率は低く、グレードも悪くなるとのこと。

プロゲストン注射、筋注。
翌日より膣錠 1日2回挿膣。
エストラダ-ムを2枚ずつ1日おきに貼りかえる。

5月25・26日
 プロゲストン注射50mg、筋注。

5月28日・6月2日
 プロゲストンデポーS注射125mg2A、筋注。

仕事中も、なるべくゆっくり歩くように気を遣いました。


6月7日 判定
 「妊娠ですねぇ。でも、たての腺が薄いんだよね。6月17日にエコーで袋が確認出来たらもう大丈夫だけど、もし見えなかったら、注射して生理を来させないといけない。
膣錠入れている間は生理にならないからね」と。嬉しいような、でも大喜び出来ないような複雑な心境。でも、やっぱり嬉しくて、診察室を出て待合室で待っている間、うるうるしてしまいました。

まず、夫に電話をしました。夫「今のところ順調?」、私「うーん、半分くらい」
父の日のプレゼントと、義父の誕生日プレゼントを買い物して、帰ってきました。ちょっと動きすぎたかな?お腹がジワ~、チク-っと痛いような違和感がある。早速、「たまごクラブ」を購入しました。妊娠大百科何ていうのも見てました・・。

6月17日に、もう少しはっきりするまで両親達には内緒にしておくことにしました。

友人から電話があり、妊娠反応の出たことを言うと、「めっちゃ嬉しいわー」と自分の事のように喜んでくれました。病院からもらってきた妊娠判定の結果のラインは薄っすらよりも少し濃くなっていました。思いっきりお祝い!!という気分ではなかったので、ジュースとビールで乾杯をしました。

プロゲストン注射、筋注。
膣錠 1日2回継続
エストラダ-ム 2日おきに1枚ずつ貼りかえる。


6月8日
 義祖父の100ヶ日。もし、妊娠していたら、3月頃出産。何となく、おじいさんの生まれ変わりのような気がして、上手くいきそうな気がする。

当直の予定も入っていたけれど、「大事な時期なんだから・・」と言って取って下さった。その人が数日前に夢を見たとおっしゃった。「子供達が私の周りにたくさんいる夢」だったと。


6月11日
 妊娠判定をもう1度確認したくて、市販の判定薬で調べてみたら、陰性だった。ショックで、落ち込んで、泣いてしまいました。「何で、17日まで待ってなかったんや」と言い、夫は困っていました。


6月12日
 友人が「おめめパッチリの双子の赤ちゃんの夢を見た」と話してくれた。朝1番で、外来までプレゼントを持ってきてくれました。3人目を妊娠した彼女、母子手帳ケースを買いにいったときに、私の分も買ってきてくれたという・・・。それから、婦人科外来で、病院の妊娠検査薬をもらって来てくれた。家に帰ってから検査したら、何分も置いておいて、やっと見えるか見えないかぐらいの薄いラインが見えるような気がしました。検査薬の種類によって、反応の出る時期も少し差があるらしい。と言うことで、17日の再診日まで待つことにしました。

プロゲストンでポーS125mg2A、筋注。お腹にも話しかけた。


6月17日
 受診。ドキドキして待っていました。
内診台にあがり、エコーが始まりました。「あれ?」と言って、先生はすぐにエコーを止めてしまわれました。嫌な予感・・・産婦人科病棟にいたことがあるから胎嚢が写っているかいないか程度ならわかるつもり。「途中で消えることもあるから・・。尿検査でもう1回調べてみましょう。」・・尿検査は陰性。「マイナスですね。消えてしまったわけだけど、妊娠しかかったわけだから。」って。

夕方、友人から電話があった。話をしていたら、涙が出てきました。色々励ましてもらったけれど、余計悲しくなって・・。夫は会社のバスケットボールの試合の為九州に行っていた・・。


6月18日
 みんなが喜んでくれて、自分自身も期待していました。かなりショックでした。治療のことをオープンに話してきたけれど、「どうだった?」と聞かれることがストレスにもなってきました。協力もして欲しいから、黙っていられなかったけど、そっとしておいてほしいこともあるから。

生理が来るまではまだ可能性もあるんじゃないか・・・ない可能性にまで期待していた。夫が九州から帰ってきたけれど、夫は妊娠のことには触れなかった。でも、ホームページを見ていたら、別の友人の妊娠の話を思い出して、耐えられずに泣いてしまった・・。このまま夫と2人で、好きなことして暮らすのもいいかな・・なんてことも考えてしまった・・・。



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